きみが、おしえてくれること
きみが、おしえてくれること。
これ、僕の大好きなキャッチコピーなんですけれども、どんな商品のコピーか分かりますか?
正解は、そこそこ昔にカルカンのCMで使われたコピーです。
アップロードが2009年ということは、少なくとも7年前のCMですね。
なんで大好きなのかと言うと、このCMが流れていた頃には我が家には たび がいたからなのです。
たび とは我が家のご主人さまの名前でして、CMの時期は5歳にはなっていた頃でした。
出会いについては以前記事にも書きましたのでそちらをご覧ください。
その たび が、先日12歳の誕生日を迎えました。
いやあ、早いものですね。人間の年齢に換算すると78歳だそうです。もう、立派なおじいちゃんですね(そう、たびは男の子なのです)。
12年、今日まで、いろんなことがありました。
いえ、正確にはたびは家猫なので、主語を抜かして書くのは少し言葉足らずですね。
僕が、たびと12年という時を一緒に過ごしてきた中で、いろんなことが自分の中でありました。
人間が高校2年生から29歳まで過ごした人生というのは、まあ大なり小なり色々起こるわけです。
高校を卒業して、大学に入学して、大学を卒業して、会社に入って、転職をして……高校生が終わって、大学生になって、色んな夢を持って、色んな夢を諦めて。周りに迷惑をかけたり、周りに助けられたり、たまには周りを助けたり。そうしてデザイナーという職能に就いて、再び周りに迷惑をかけたり。デザインとは何か?会社とは何か?人間とは、生きるとは。そんなことも考えるようになったり。
12年前と今では、たしかに僕は同じ人間だけれども、変わってきた部分もある。けれども、変わらないこともあった。
そのうちの1つが、たびがいること、なのかなと思います。
たびがいることは変わらない。ただ、自分自身が変わってゆく中で、たびとの付き合い方だったり、たびを見る見方や、たびから感じ取る考え方というのも、少しずつ変わってきているような気がします。
きみが、おしえてくれること。
よほどのことが起こらない限り、10代の人間が猫と一緒にいることになると、猫のほうが先に向こう側に行くわけです。
たびがいる、という変わらないことが、いつか変わってしまう瞬間がやってくる。毎日やっているように、少し開いているドアに手をかけて、ひげで通れることを確認して、スッと向こう側に行ってしまう瞬間がやってくる。
ただ一緒にいるだけ、それだけから、これからを考える、今いることを考えるきっかけというのがやってきます。一緒にいられる時間より一緒にいられない時間のほうが長いなんて、そんなのなんだかズルいじゃないかと、誰に言うでもなく思うことは一度や二度ではありません。
そういうことを考え始める時期がやってくると、あのキャッチコピー、言葉というものがいつもより強い意識を持って僕の頭の中にやってくるのです。
朝、ふと目がさめると視線の向こう側に座っているたびがいる。
夜、家に帰ると廊下の向こう側から歩いてくるたびがいる。
ある時改めて気付いたんですけれども、猫って思っているよりちいさい身体をしているんですよね。そんな身体は凛としていて、しなやかで艶やかで、生命として綺麗だなと思う瞬間がある。
当たり前に生きていることの強さ、幸福というものを、あの凛とした姿勢から感じ取ることが、最近の日々にはあります。
変わらぬ日々も、いつかは変わってゆくでしょう。たび自身も、僕自身も、1人と1匹の関係も。
それでも、きみがおしえてくれることを、少しずつでも見つけて受け取って、ずっと覚えていたい。
いつか僕がドアを開けるときに、あの猫、なんて思い出しをしないで、たびが、たびが教えてくれたことを思い出して、抱えて、会いに行けたら嬉しいな。
なんて、そんなことを時々考えています。