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よりぶろ

アプリのUIとかについて書いてく予定

面白いことよりも面白そうなことに目を向けてみる

というのは大事だなぁ、と最近改めて感じます。

 

ようはチャレンジ精神は大切だよね、とまとめちゃえるのですが、もう少し中身を書くと、『面白いこと』というのは自分の中ですでに結論が出ていて、体験済のことなんですよね。慣れている。だからそれと対面している時も面白いし楽しいし、やりやすい。

でもずっと『面白いこと』ばかりしていると、そこから別の一歩を踏み出すのに躊躇う体質になるんじゃないかなあと。

反対に『面白そうなこと』というのは、まだ面白いことになる前段階ですから、自分の中でも答えは出ていないし、体験もしていない。ひょっとすると経験すらしていない。

面白そう、と思えるのは過去の経験則センサーが教えてくれることが多分にあるので、よほどのことが起こらない限り何も学びがない、不毛な結果に終わることもそうそうないと思いますし、少なくとも自分の感じる『面白い』の幅を少しだけ拡げてくれることにはなりそうです。そもそも面白そうかどうか分からないことを始めるのは気持ち的にちょっと気後れちゃいますから、始めるには『面白そう』という定規はちょうどよいのではないかなと。もちろん、全くの未知を経験することで見えてくることもありますから、自分に無関係のことはやらないほうがいい、とは思いません(世の中に自分と無関係のことなんてあるのか、みたいな思考にもなったりはしますが割愛)。

また、『面白い』と思える、確信できる状態になるまでには、程度の差こそあれどいくらかの期間がかかります。そういった時間を過ごすことで、何かをモノにする、『面白い!』と気付ける状況を経験できるのは、ただ『面白いこと』を続けるよりも新しい発見があって楽しいんじゃないかと思うのです。

 

じゃあその面白そうなことってどうやって見つけるのさ、という話ですが、これは個人的な経験から言うと

・周りの人がやっていること

・自分の仕事に少しだけ関係すること

・親兄弟がやっていること

・子供の頃にやっていたが今はやっていないこと

ら辺からうまく繋げられるんじゃないかと思います。

いちばん始めやすいのは2番目とか3番目かもしれません。幅を拡げてみることで改めて自分の仕事について再認識する機会に恵まれたり、幼少時代に経験したこと = 『面白かったこと』なら『面白い』に繋げやすいと思うからです。

僕は父親がコピーライター(退職してからは短歌詠んでる)、母親がフルート奏者なので、そのあたりも面白そうだなあ、と思っています。触れてみて初めて『短歌ってすげえなあ』と感じましたよ。自分が置かれている環境やその時の感情を、ある規則に則ってアウトプットするなんてすごいし、それができたら見る世界も広がるんだろうなあと。

 

反対に、誰かから『これ面白いよ』と薦められたものについては、成功半分失敗半分かなと。相手は自分のことを考えて薦めてくれたはものの、自身は面白いと思えない、というパターンもあり得るからです。まぁでも、何の考えもナシに薦めてくる人ってそうそういないと思うので、そのような機会に恵まれた時は『面白そうかも』と思うと人生おトクですし、そう言ってくれる人が周りにいるだけでも幸せな環境なんじゃないかと思います。

ちなみに僕は大学の後輩に「これ絶対面白いから!」とSHIROBAKOを薦めましたがガン無視されました。あれはレコメンドまでの導線設計がマズかった。。

 

 

というわけで『面白そう』精神を持ち続けると、面白いことがたくさん増えてハッピーになるんじゃないのかしら、というお話でした。