上手いだけではだめ
昨日今日と会社ブログ用の下書きをえっちらおっちら書いててふと思ったこと。
自分は幸運にも本を2冊ほど書かせて頂きましたので、最近はあまり苦もなく文章をすらすら書けるようになりました。
また、人生で初めて読んだ小説は小学5年生の「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン」、次に読んだのは「アベニールをさがして」、なぜか次は「ガイア・ギア」と、幼少期から富野節に触れてしまい文体がおかしくなってしまった自分でも、会社に入ってから鍛えられたおかげもあって、なんとか人に読ませられるくらいには言葉遣いも直ってきたと言えます。
そんなことを思いながら下書きを書き終えて「ふう、なんとかうまく書けたかな?」と一息ついた瞬間、ふと
「上手いのって、やれて普通なんだよなあ」
と思ったりしたんですよね。
うまい文章を書けるのは、きっと当たり前。うまくない文章しか書けない人は、そもそも土俵にすら上がれていない。さらに上をいく人は「読み手を引き込む文章」だったり「楽しませる文章」だったり「伝えたいことを伝わるように書く文章」だったりを書くんだろうなあ、と。
たぶんうまい文章というのは、体裁を整えただけ。すっきり読める。良いことなんだけど、でもそれだけ。
目的を達成するとか、感情を揺さぶるとか、読み手をコントロールするとか、そういうことができる人をプロと呼び、そんな人たちが書く文章が、良い文章と呼ばれるんだろうなあ、と。
でも僕は文章のプロじゃない。じゃあこれがデザインの世界だったらどうなんだろう?
うまいデザイン、だけでは生き残れない。良いデザインをしなければ。
良いデザインとはなんだろう。
うまいデザインていうのは、いわゆる「キレイ目なデザイン、整えられたデザイン」だと思う。うまいデザインは、それだけで終わってしまう。見た目キレイですね、で終わり。
良いデザインは、目的を達成する。良いデザインは、感情を揺さぶる。良いデザインは、ユーザーを導く。そんなデザインができる人が、プロのデザイナーなんだろうな。
(もちろん、良いデザインの定義はこれだけに留まらない)
うまいデザインができるデザイナーが良いデザイナーとは限らないけど、良いデザインができるデザイナーは、良いデザイナーだと思う。
きっと良いデザインというのは、その人の人となりとか、苦労してきたこととか、生き方とか、色んなものがうまく組み合わさってできるんじゃないかと思う(うーん、ちと感傷的ですな)。
考えてみれば当たり前のことだし、別にいまさら気付いたってわけでもないのだけど、言葉として記録しておきたかったので書いてみた。