よりぶろ

アプリのUIとかについて書いてく予定

自分の好きなことが自分の才能になるかは分からないけど、自分の子供の才能に繋がる可能性は高いと思う。

なんかタイトルで全部言い切った感があるけど、最近そんなことを思う。

血筋だとか何とかっていうことよりも、親が興味のあるものに溢れている空間が家というものなのだから、そこで育った子供には、才能とまでは言えないかもしれないけど、それに小さい頃から触れるという幸運に恵まれる。例え小さなきっかけでも、ひとつ歩を進めれば子供にとっては可能性になる。

なんかよく「俺はもうこの道には進めないんだー駄目だー」みたいな嘆き悲しむシーンが漫画とかドラマにあるけど、もしその道に進めなくても、対象と向き合うことを止めなければ、それはいつか自分の子に受け継がれるんじゃないだろうか。

何が言いたいのかって言うと、自分の人生は自分のものだけじゃなくなる瞬間があって、それを意識できたら、何か素晴らしいものが後ろの代にずっと残せるんじゃないかってこと。自分には無理でも、自分が死んでしまったあとでも、自分のDNAを継いだ人間が、何かのきっかけで自分と繋がってくれたら、それは幸せなんじゃないかと思うし、家系ってそういうことなのかなあ、なんて。

自分を例に出すと、父方は作家とか、言葉に関係が強い家系で、母方は経営とか音楽に強い家系なんだけど、なんかうまい具合に混ざって自分の中にあるような気がする。母のお腹の中にいた頃からフルートの音は聞いていたし、子守唄は母の唄か、1階からかすかに聞こえていたピアノだった。じゃあそれが具体的に自分を音楽家にしてくれたかと言うとそうはならなかったのだけど、でも、音楽を通じて自分の心は作られていたと思う。経営の話は僕が生まれた頃にはもう無くなっていたものなので、受け継がれてはいない気がする。

言葉にもたくさん触れる機会は、まあそりゃあったけど、特に最近は言葉の大切さを身に沁みて実感して、そんな時に「ああ自分はこの家の生まれでよかったなあ」と思える程度には、意識することができている。それは父がコピーライターやったり小説家目指したり短歌の世界でがんばっていたりするからであって、素敵なプレゼントを貰ったなと感謝してる。僕も言葉はこれからも大切にしていきたいと思っているので、うまいこと後ろの世代に残せたらいいなと思う。ひょっとしたら次か次の次の世代あたりで、才能として再び開花するかもしれない。

僕自身はと言うとデザインということに興味を持ちデザイナーという職業に幸運にもありつくことができたので、これから続けるにしろ続けないにしろ、デザインというワードからは離れないようにしたいなあ、なんて考えている。あとは、どううまく伝えていくか、かなあ。

 

半分眠りながら書いたので明日になったら何じゃこりゃ状態になっているかもしれない。